コスパとか、タイパとか、”パフォーマンス”もろもろ

日々の徒然

なんとはなく、ここ最近感じていることをつらつらと…。

コストパフォーマンスやタイムパフォーマンス、
略してコスパ、タイパ、といわれる言葉が定着してきました。

いわゆる、「費やした経費や時間に対して、得られた効果や満足感の相対性」を示す言葉です。
コスパがいいもの、タイパがいいもの、私も嫌いではありません。
むしろありがたいです。
けれど…
このコスパとタイパって、“すべての人にとっていいもの”って存在しないんじゃないか、とも思ってしまうのです。

例えば…
100均は“コスパがいい!”の代名詞のように言われることがあります。
「たった100円でちゃんとしたものが買える」ということで。
でも、“たった100円”でも、それに価値を見出していない人にとっては、“コスパがいい”とは言えないのではないでしょうか。

そして、この“価値を見出す”という行為、つまり“パフォーマンス”にあたる部分って、“商品そのものが価値を提供してくれる”というより“受け取り手がどれだけ価値を見いだせたか”によるのではないかと感じます。
分かりやすい言葉に置きかえるなら、“受け取り力”とでも言いましょうか…。

私は、映画館に映画を見に行くのが好きです。
現代人らしくNetflixにAmazon Primeなんかも契約しちゃっていますが、それでも映画館に見に行きたくなる作品って、やっぱりあります。
動画の倍速視聴が当たり前の昨今、わざわざ出かけて交通費を払って、通常速度で映画を見る。
人によっては“無駄”“コスパもタイパも悪い”行為かもしれません。
でも、好きなんです。映画館。
私個人は映画評論家でも批評家でもないですし、映画館で見ること良さを多くの人に納得させられるほど、高尚な気持ちで映画館にいっているわけではないですが…。
でも、私は“映画館で映画を見る”という行動からたくさんのものを“受け取っている”と感じます。
大きな画面に迫力ある音響、映画に没入できるシートに照明、非日常感に、ときどきポップコーン。
自分がたくさんのものを“受け取っている”と思えるからこそ、
ほかの人から見たら“パフォーマンスの悪い”行為も、まったくそう感じません。
これが、私が映画館に対して発揮している“受け取り力”です。

なぜこんな考えが頭をめぐっていたかというと、自分が今、受け手としての力を試されているからかもしれません。

前のブログで書いたとおり、現在占星術の知識をより実践的に活かすべく、講座を受講しています。
そして…教員職の経験からみても、“学び”ほど個人の受取力に差がつくものはない、という気がするのです。
これは、学習能力とか知能指数とは全く関係のない話し(知能指数が高ければ就学効果も高くなる、ということではないと思うのです)。
学びって、聞いておしまい!じゃなく、聞いたあとでどれだけ実践するか、もしくは自分で復習したり調べたりするかも含めてのもの。
そうした+αの行為が、学びにおける受け取り力。
同じ先生から同じ授業を受けても、生徒たちのその後がまったく異なるのが珍しくないように、学びの内容を、その後にどれだけ活かせるかは、本人次第。

そんなこんなで、私は今、自分の受け取り力を磨いている最中なのです。

そして、
あらゆるサービスについて感じるのは、
どんなことでも、感謝の気持ちをもって、全力で受け取りにいき、自分で価値を理解しにいくことが、ハイパフォーマンスなサービスを受け取る秘訣だと思います🍀

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