アーネスト・ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」という小説がありますが、今日はちょっとそちらのタイトルを拝借してのお話しを…。
私の生活の片鱗をご存知の方は、職場が教育関係であること、4月から職場を休職していること、などはご承知かと。
休職は9月末まで、そろそろ今後のこと視野に本腰を入れて動いていかなければ、と思っているところです。
タイトルの話しになりますが、自分が“社会でどんな役割を果たしているのか”を考えたとき、教育関係の仕事というのはある意味“とても楽”な仕事であると感じます。
これは職務自体が楽ということでは全くなく、誰かに“仕事の意義を伝えやすい”という点でとてもわかりやすい、という意味です。
もっとはっきり言ってしまえば、自分で考える必要もないくらい教育関係の仕事って「世の中に必要だよね」って思ってもらいやすいように感じるのです。
ただ、大前提として、世の中の仕事で必要とされていない仕事など無いと個人的には思いますし(そもそも需要があるから仕事になっているわけで…)、仕事の貴賎や上下などは存在しないことは忘れてはならないと思います。
今までの自分の状況をふりかえったとき、自分は“世の中での自分の役割”を考えることを、ずいぶんサボってしまっていたなぁと思います。
そのためか、休職をしてからは自分にはどんな力があるか、それをどんなふうに使えるか、それを使っていくことで誰に何を与えることができるのか、とても考える時間が増えました。
まだまだいろいろ考えている途中ではあるのですが、最近、そうした“自分にできること”のヒントになるような出来事がありました。
あるきっかけで、私の休職にいたるまでの気持ちの変化や、決断時の想いを記事にしていただきました。
その記事を担当していただいた方から、
「同じ境遇にいる人はたくさんいると思う」
「私の決断に背中を押される方もいる」
といっていただいたのです。
そう、現代ってメンタルの不調でお仕事を辞めたり、休んだりする方が、とても多いと聞きます。だからか私は、自分の境遇なんてよくある出来事の一つ、としか思っていなかったのかもしれません。
ただ、プロの力で丁寧に丁寧に文章化された記事を読んで、そんな自分の捉え方が変わりました。なにごとも、経験した人にしかわからないことが必ずあり、自分にはその経験がある!というのはとても大きな財産だと、気が付けたのです(上記の記事は下記リンクからアクセスできます)。
もしいま、何かに悩んでいたり、苦しんでいたり、心が重くなったり、そんな人たちがいるならば、自分の経験をふりかえって、そんな人たちに寄り添っていきたい。
これから仕事をふくめて自分の人生を考えていくわけですが、いまは“何をするか”ではなく“誰のためになるのか”を、誰かからあたえられた役目ではなく自分で選んだ役目を、それを考え、はたしていける仕事をしたいと思っています。
追記
冒頭紹介したヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」では、最後に主人公が(ある意味で)自己犠牲的な悲劇の結末を迎えます。
自身の役割を果たすにしても、この日本の平和な社会に生まれた私たちは、自分を犠牲にせず他の人とともに幸せになっていける道を目指したいと感じるのです。気になる方はチェックしてみてください。
小説:「誰がために鐘は鳴る(上)」「誰がために鐘は鳴る(下)」
映画:「誰がために鐘は鳴る」
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