出費・浪費・投資

日々の徒然

 皆さんは、お金を払うこと、好きですか?

 いきなり質問から入らせていただきましたが、「お金を払うのは好きか?」と聞かれて「大好き!」と即答する人は少ないのではと思います。
そして、おそらく「何に、いくら払うかによる」というのが多くの人の答えでしょうし、もしかしたら「お金を払うのは実は好きではない…」と思っている人だっているかもしれません。
そんな“お金を払うこと”について、つい最近ハッとするような気付きをいただきました。

 昨年末、本当に偶然、素敵なネイリスト様&ネイルサロンとの出会いがありました。
オーナーのなおこさんは施術の腕が確かなことはもちろん、考え方が素晴らしく、お話しをしていて本当にたくさんの共感や気付きをくださいます。
そのなおこさんから、いただいた言葉が「支払うお金は、出費と、浪費と、投資に分けられる」というものでした。

 冒頭の「お金を払うのは好きか?」の質問に多くの人は「何に、いくら払うかによる」と答えるのでは…と書かせていただきましたが、これがまさに人によって出費・浪費・投資によっていくら払えるのかが変わってくる、ということだと思います。

出費は、生活には欠かせないお金です。
食べ物を買ったり、日用品を買ったり、家賃や光熱費、通信費なども必要です。節約することはできても、無くすことはできないお金。
浪費は、いわゆる“贅沢費”でしょう。
“自分へのご褒美”というような、ちょっとリッチで普段はしないようなお金の使い方をするときは、多くは浪費なのかもしれません。
そして、投資
これは何も、金融業界でいわれる投資そのものに限りません。学校に通うための学費だって、立派な“投資”なのです。だってそれはその場の学業のためだけでなく、多くの人は将来のために払っているものだから。

そして、冒頭の質問「お金を払うのは好きか?」に対して「お金を払うのは実は好きではない…」と思っている人の多くは、この出費・浪費・投資の整理がついていないことが、お金を払うことへの恐さにつながっているのでは?と感じたのです。

 私は、なおこさんと出会うまで、ネイルサロンの必要性というのがよくわかっていませんでした。だって、世の中のほとんどの人はネイルサロンに通わなくても生活できていますよね?こうしたサロンを“生活必需品”のように考えている人は少ないでしょう。多くの人にとって、爪を切るという行為を、お金を払ってわざわざやってもらうことはおそらく“浪費”になるのでしょう。
ですが、私は実際にサロンに行き施術を受けたことで、自分のなかに潜在的にあった気持ちや、施術の必要性について気が付きました。ハンドメイドのときに生じる手荒れが実はストレスだった…足の爪がうまく切れずきれいな形になっていない…。
そうした自分のなかにあった“ニーズにきちんと気が付き向き合えたこと”、そしてそれを“適正だと思える価格で提供してくれる人にであったこと”で、私にとってのネイルサロンに行くという行為は浪費から投資に変わったのです。

 なにが出費で、なにが浪費で、なにが投資か。
これを考えることは、その人が自分にとっての出費・浪費・投資の整理をつけることで、お金に対する自分軸を持つことだと思います。
そして、お金に対する自分軸があれば、きっとお金を払うことも、ときに払わないことも怖くなくなる。そう思います。

 社会のなかでは誰もが消費者です。お金を払うことには慣れています。
では、お金を受け取ることについてはどうでしょう?
私は今、占星術やアクセサリー販売というサービス・商品提供をすることを通じて、自分の提供するものがお客様にとって出費・浪費・投資の何になるのか、ということと真剣に向き合っています。
お客様が「自分にとって有意義なお金の使い方だった」と思ってくれるようなものを提供したい。きっとそれはすべての提供者が考えること。
そして…、
じつは気が付いていないだけで、世の中の大人の“誰もが提供者”なのです。会社や組織に属して給与という形で収入を得ている人も“自分の労働を会社に提供”している“提供者”です。

なにかを差し出して、そして何かを得ていく。
お金を支払うことの本質は何か。
そうしたことと真剣に向き合う人が増え、お金との付き合い方にストレスを感じる人が少ない世の中になっていったら、ひいては幸せになる人だって増えていくように感じます。

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