“ありのまま”の落とし穴

日々の徒然

「“ありのまま”の自分で生きていきたい」
「“ありのまま”の自分を受け入れてほしい」

そんな気持ちを抱いたことがある方、少なくないのではないでしょうか。
でも、“ありのまま”のあなたとは、いったいどんな人?
今日はそんな気付きについて書いていこうと思います。

 “ありのまま”というキーワードを聞くと、もしかしたら大ヒットアニメーション映画「アナと雪の女王」の劇中歌「Let it go」のメロディーが頭のなかで流れ出す、なんていう方もいるでしょうか…(いますか?)
映画は見たことが無いけど「ありの~ままの~」と主人公エルサが歌うシーンはなんか知ってる…という方も多いかもしれませんね。

 やっぱり、なんとなく「ありのままのあなたでいいよ」と言われると、自分を肯定されたような気がします。
率直に「よかった、ありのままでいいんだ!嬉しい!」と感じる方が多いでしょう。
ただ、そこで冒頭の問いにもどるのです。
“ありのまま”のあなたとはいったいどんな人?
私の個人的な感覚ですが、“ありのまま”と“そのまま”って似ているようで全く違うように感じるのです。

 前述した「アナと雪の女王」のエルサも、
彼女が「Let it go」を歌うのは、女王として優等生的に振舞ってきた“それまでの自分”から脱却し、“本当はこうありたい”と思い切ってお城を飛びだす場面です。
 もし、エルサと同じような悩みを抱えている人がいたら、あなたは何と声をかけるでしょう?
「いつもしっかりしていて偉いねってほめられるの、でも、なんかそれって本当の自分なのかなって違和感があって…」
たぶん、本人にとって一番“楽”なのは、そのままでいること。
「いいじゃない、ほめられてるんでしょ?しっかりしてるあなたがみんな好きなんだよ、そのままでいなよ」と言えば、相手は“変わる”というエネルギーを使わずにいられる。
でも本当にそれで相手は救われるのでしょうか…。

ありのままでいるというのは
“本当の私はこういう人間で、これが望みで、これが幸せ”ということを一つひとつ見つけて気が付いて整理すること
だと思うのです。
もしかしたらそれは“そのまま”でいるより大変で、ときに苦しいことかも。
でも、きちんと“ありのまま”に向き合えたあとは、きっと世界が変わって見える、そういう気がします。

 そしてもう一つ、かつて美輪明宏さんのお話ししていた例えが、とても印象に残っているのですが
「世の中の多くの人は、ありのままの私を受け入れて、と言いますが、それは畑から引っこ抜いてきた土のついたままの大根をそのまま相手に食べろと言っているようなもの。
そんなものを食べられる人はいません。
きちんと洗って皮をむいて料理して、そしてお皿に盛りつけてはじめて召し上がれと言えるのです」

というものでした。

 “ありのままの自分で生きる”というのは、
まずは自分が大根なのか、人参なのか、玉ねぎなのか気が付くこと。
気がついたら、自分という素材がいちばん美味しく食べられる調理の仕方を勉強すること。
そしてその料理を「美味しいね」と言ってくれる人に食べてもらうこと。

そう感じるのです。
大根が無理に人参になろうとする必要はないし、
大根の自分を無理やりフルーツ盛り合わせに入れる必要もない(フルーツ盛り合わせに大根入れるの好きな方がいたらごめんなさい…)、
大根がそもそも苦手な人に無理に食べてもらう必要もない、
だけど、自分が大根で一番おいしい料理方法はこれ、というのを知っておくのはとても大切。

 これは、かつて「自分がどうやって生きていきたいのか」ということに真剣に悩んだことがある私から、今、同じように思っているかもしれない“誰か”におくる、ささやかなメッセージです。

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