8月下旬の某日、汐留~新橋駅間の地下通路をとおる機会がありました。
そのとき「関東大震災100年-写真に刻まれた記憶-」と題した展示が行われており、ちょうど時間にすこし余裕があったので、覗いてきました。
関東大震災は、1923年(大正12年)の9月1日に発生し、この出来事に由来し9月1日は防災の日に制定されました。
“大震災”と聞くと、皆さんの記憶にまず蘇るのは2011年3月11日の東日本大震災ではないでしょうか。関西の方のなかには、いまだ阪神淡路大震災の記憶がはっきりある、という方もいらっしゃるかもしれませんね…。
神奈川出身で東京在住の私にとって、阪神淡路の震災は子供のときの出来事ということもあり、ニュースの報道が連日緊迫したものだったというくらいのおぼろげな記憶しかありません。
東日本大震災については、なんと大学の卒業式のまさにその日に発生したということもあり今でもかなり印象深く記憶に刻まれています。晴れ着姿のまま、大学の在った都内から神奈川の実家まで、なんとかかんとか辿りつき、そこで初めて尋常ではない事態が起こっていたことを知りました。
昨今、気候変動の影響からか災害そのものが増加の傾向にあるように感じますが、ふと、そうしたことを見聞きするたびに“はたして我が家は大丈夫なのだろうか…”と漠然とした不安感にかられます。
私も今は神奈川の実家を出て、夫と都内で二人暮らしをしています。子供はいないので、大人二人の世帯です。
ただ、この老人も、子どもも、ケアを必要とする障害等がある人もいない、という状況は楽なようで実はとても怖いのでは、と感じるのです。
もし何かしらの状況で都心が被災したとき、避難所に行きたい、物資が必要だ、炊き出しに並びたいとなっても、都内人口約130万人すべての要望をカバーすることなど、到底できないでしょう。当然、優先順位が決まります。まずは、子ども、妊婦、疾病のある人、老人などが優先されていくと思います。そうあってほしいです。
そして、私自身もまた“優先されるべき人達がいるのだから、うちは我慢するべきだ”と考えると思うのです。
我が家は30代と40代の、健康な大人二人暮らしです。きっと、要支援者としての優先順位はとても低くなると思います。大混乱の状況になったら、自分たちのことは自分たちでなんとかしないと、誰も何もしてくれないでしょう。
これは、一人暮らしという状況でコロナ禍を体験した記憶からも、そう思うのです。
だからこそ、日ごろから備えなくてはならない。
我が家では、トイレットペーパーやティッシュペーパーなどの紙類は、ローリングストック術を活用し、すこし多めに蓄えています。もちろん生理用品も同じくです。
玄関すぐの収納には、防災時に使用する道具を入れています。
意識して、レトルトや缶詰、乾麺など保存のきく食材をストックするようにしています。
もし本当に被災したら、日ごろの準備なんて全く役に立たないくらい、大変かもしれない。でも結局、忘れないこと、備えておくこと、心に留めておくことが、自分たちを守ることにつながるのだと思います。
何か、壮絶で悲しい出来事に見舞われたとき、
少しでも、本当に優先されるべき人に必要な支援がとどこおりなく届くよう、私のような“一般市民”は自分たちを守れる備えをしておきたいと感じました。
コメント