今日の内容、実は少し前にnoteにも書いたのですが
とても印象的だったのでこちらのブログにも書いておこうと思います。
最近読んだ本に、とても興味深いことが書いてありました。
日本神話(古事記や日本書紀)に登場する神様の名前について。
日本の神様の名前には、よく「ミコト」という敬称がついています。
(イザナギノミコト・イザナミノミコトなど)
「ミコト」と読む漢字には、「尊(みこと)」や「命(みこと)」など、さまざまあります。
どちらも神様の尊称として使われる字ですが、用いられる時には使い分けがされているということでした。
「尊」という漢字は、「とうとい」とも読み、
「地位や存在の高さ」を示す意味が強いため、神々のなかでも特に“位が高い”存在の神様に用いられる傾向があるようです。
対して、「命」という字があてられる神様は、
“何かしらの使命や命令を帯びている”存在である、ということらしいのです。
たとえば、天地創造の神話に登場するイザナギとイザナミ。
この二柱の名前の漢字は出典によりさまざまなようですが、「国生み」という重大な役割を天の神々から託されたあとは、
「伊邪那岐“命”」「伊邪那美“命”」と、「命(みこと)」の字で表記されるようになるそうです。
天照大御神(アマテラスオオミカミ)には、
“大御神”という神号が使われていますが、天照大御神は「これをしなくてはいけません」という役割を持っているわけではないので、「命(みこと)」の字は当てられていません。
(※なお、本記事はあくまで参考文献を通しての理解に基づく内容であり、
「古事記」「日本書紀」原文の精読を経たものではありません)
この“命”の漢字を使った熟語には、
「命令」「使命」「天命」といったものがあることを考えると、
「命(みこと)」と名付けられる神様は“役割を帯びた存在”である、というのはとても分かりやすい気がします。
そこから、ふと
名前に「命(みこと)」があるということは、“命(いのち)を授かっている”ということ。
そして、命があるとは、生きているということ。
生きるということは、使命を生きるということにつながるのでは…と思い至りました。
「命(いのち)」という言葉のなかに、「命じられたもの」「何かを受け取って生きるもの」という響きがある。
ただ生きているということのなかに、それぞれに“意味”や“果たすべきこと”がある。
そう考えると、自分という存在にも小さくても確かな「役目」があるのかもしれないと、自分の存在を省みるような気持ちになります。
使命という言葉は、時に重たく響くこともあるけれど、
「命があるということは、すでに何かを託されている」という視点をもつと、
生きるという行為になにか意味を与えてくれるように感じます。
それは決して“何かを成し遂げねばならない”という義務ではなく、
“自分がこの世界と関わっていることそのものが、すでに意味をもっている”という静かな実感です。
神様の名前のなかにある「命(みこと)」という言葉は、
そんなふうに“生きるということ”そのものへの問いかけを、私たちに残してくれているように感じました。

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