このブログを長く読んでいただいている方、または個人的なお知り合いの方は、
私が大学時代に服飾を専攻し、そのまま母校にて10月末まで教員としてお世話になっていたことをご存知かと思います。
大好きな母校を離れ、服飾の世界からは縁遠くなってしまったかというと…
意外とそうでもない、むしろ、今のほうが服にたいする関心が増してきている気がします。
ここ数日、いろいろな方とお出かけさせていただく機会が多かったのですが、
そのたびに身につけているものをほめていただくことが多々ありました。
やっぱりほめていただくと嬉しいですし、ファッションに対するモチベーションも上がります。
なにより“好きなものをほめられる”ってすごく気持ちが前向きになるんです!
大学に勤務していたとき、
私が服を選ぶ基準は“実用的かどうか”にフォーカスしていた気がします。
“ファッションの学校”ときくと、洗練されたおしゃれな人しかいない、そんなイメージをもたれることもありますが、実際はもう少し現実的です。
そもそも“仕事”で職場にいっているので、有事の際には学生の避難誘導等の義務がありますし、その際に動きにくい服やぬげやすい靴、というのはできるだけ避けるようにしていました(実際最初の研修でも言われたので…)。
また、私は職員のなかでは若手だったので、授業準備や備品整理、イベント等の準備では物の運搬・設営といった仕事もこなします。そうしたときに、スカートやハイヒールでは仕事にならないのです。
ただ、本来の私が好きな装いは、そうした”実用的“なものではありませんでした。
そもそも、大学にまで服飾を学びに行くくらいですから、心の底には「好きな服を着て生きていきたい」という気持ちが強くあったのだと思います。
しかし、前の職場では“毎日好きな服を着る”ということは“現実的に難しいこと”でした。
たかだか服、そう思われる方もいるかもしれません。
でも私は、まさに母校であり職場だった大学で、装いがいかに人の心を変えるか、ひいては人生にまで大きな影響を与えるかを学んできました。そうした私にとって、好きな服を着て働く選択肢のない職場は、ある意味で“自分らしくいられない場所”だったのです。
実務のことは気にしないで好きな服を着ていく、という選択肢もあったのかもしれません。
でも、当時の私は、そうした選択肢さえ浮かばないほどに、職場では視野狭窄に陥っていました。
自分のいる環境を変えた今、外に出かけるのが楽しいです。
出かけるための服を選ぶのも、心の栄養といえる行為になっています。
私の占星術の先生である對馬エリさんは、講座の最初に
「夢を叶えたいと思うなら、すでに夢が叶った状態の自分をイメージし、そのイメージのとおりに自分をあつかってあげる」
ということを教えてくださいました。
私の理想は、出かける前にクローゼットを眺めながら「今日は何を着ようか…」と楽しく考えるような生活です。その理想のとおりに、自分をあつかってあげたいのです。
今は出かけるたびに、理想の生活を想い描きながら、楽しく服を選んでいます。
装いがもたらす力を私は知っています。
装いで自分を幸せにするのを、これからは“理想”から“当たり前”に変えていくような日々をおくるつもりです。
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