天才を生み出す条件、などと書いてあると、
いかにも特別な、選ばれた人々だけが受けられる高等教育の話しや、
そもそも金銭的余裕がある高い教育水準を持つ親の話しや、
はたまた、とても貴重かつ奇天烈な体験をしてきた人の話しか、そんなことをイメージする人も多いでしょう。
しかし、今回の話しはもっとシンプルです。
そしてきっと“天才”という言葉が持つ特異なイメージから想像される内容より、ずっと謙虚で質素かもしれません。
年末年始、わりに本を読んですごしました。
その中の一冊が「世にも美しい数学入門」(藤原正彦/小川洋子)でした。
“数学入門”などと書いてあると、もうこの時点で理系アレルギーが発動する方もいるかもしれませんが…大丈夫です!
数学入門とは題していますが、難しい公式についての話などまったく出てこないのです。
この本は、数学の世界で“天才”と呼ばれた人々が、そもそも“どんな人で、どう数学と向き合ったのか”にフォーカスされた内容になっています。
THE・文系!の代表格ともいえる“小説家”の肩書を持つ小川洋子さんと、日本を代表する数学者のお一人である藤原正彦先生の対談を通して語られる内容は、分野の垣根を超えたお互いへの尊重に満ちており、読んでいてとても真摯な気持ちになりました。
さて、そこで今回のタイトルにある「天才を生み出す条件」ですが、
藤原先生が数学という分野において天才を生み出す条件として3つのことを上げていらっしゃいました。それが、
一つに、神に対してでも、自然に対してでも、ひざまずく心を持っていること
二つに、その人のまわり(特に生育環境)に美の存在があること
最後に、精神性を尊ぶということ
なのです。
ものすごく、意外な気がしないでしょうか。
事実、小川さんも別の書籍「物語の役割」のなかで
―私はそれまで、そういう思考力の優れた人、まして数学のような無機質なものを研究している人は、情緒的なものに対して冷たいんじゃないか、という先入観を持って見ていました―*1
というように書かれています。
結果的に、藤原先生との出会いにより、小川さん自らその予想は裏切られたと言っておられますが、私自身、「世にも~」を読んで数学という世界のイメージが根底からくるがえる思いでした。
この本のなかで、藤原先生は数学の美しさの一つについて、
魑魅魍魎ともいえる複雑多様なものを、一つの数式で一気に統制してしまうような豪快さと美しさがある。それは本質をパッと切り取る、俳句にも似ている。
というようなことを述べています。
そこで、数学における天才を生む条件が出てくるのです。
誰が作ったのかはわからないけれど(ある人たちにとっては神様が作った)、この複雑怪奇な世界のあらましを尊び、そこにひざまずくような謙虚さを持つ。
そして、有象無象のなかから、これだ!と思う一筋の光を掴み、その本質を美しくまとめ上げる。
たとえそれが金銭的価値につながらない、多くの人の理解などえられない真理であったとしても、物欲でもなく名誉欲でもなく、ただひたすら真実を見つけたいという精神性を尊ぶ。
私はこの藤原先生の考えにふれたとき、
多くの人は、なんて狭く小さく区分された学問しか教えてもらえないのだろうと感じました。中学高校あたりから、多くの教育機関では学問を文系理系に2つに分け、社会はそれぞれに明確なイメージを植え付けます。
例えば、理系の学生は論理的に思考し感情的な議論に価値を見出さない、文系は言葉の行間を読むような観察眼をもち対人関係に優れる、など。
そして芸術などはそれらとは全く別のものと区分され、議論のなかにさえ加えられません。
しかし、真になにかを突き詰める人、まさに天才と呼ばれるような人々にとって、そんな垣根などあってないようなもの、天才はまさにそうした垣根を飛び越えて思考できる人たちだと実感させられたのです。
私の、ごくごく個人的な感覚ですが、美しいとは“心地の良いこと”だと思っています。
本のなかで小川さんがおっしゃっていた言葉が胸に響きます。
―三角形の内角の和が180度であるということ自体がもう、素晴らしく美しいと思うんです。「三角形の内角の和が180度である」という一行が持っている永遠の真理は何物にも侵されない。―*2
小学校で習う、子どもでも知っているこのたった一行のもつシンプルな、そして変わることのない事実は、私にとってまぎれもなく“心地よいもの”だと、気が付かせてもらいました。
*1:小川洋子「物語の役割」株式会社筑摩書房,初版第十二刷発行,13頁13行~
*2:藤原正彦/小川洋子「世にも美しい数学入門」クラフト・エヴィング商會,初版第二十刷発行,32頁2行~
【追記】以下は、今回の内容に関連する小川洋子さんの個人的おすすめ書籍。とくに、小説「博士の愛した数式」は映画化もされた名作。
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