皆さん、こんにちは🍀
突然ですが、皆さん映画はお好きですか?
私は映画、大好きです💗
好きな”作品”というものもたくさんあるのですが、
今日は”好きな監督”という視点から。
私が好きな監督の一人が、クリストファー・ノーラン。
代表作は、一躍脚光を浴びるきっかけとなった「メメント」や、
渡辺謙さん出演で日本でも話題になった「インセプション」など。
ですが、ノーラン監督の作品で私が一番好きなのは先の2つではなく、
2014年公開の「インターステラー」です。
〇愛は観測可能な力
映画「インターステラー」を初めて観たとき、
あるセリフが私の心に深く刻まれました。
それが…
「愛は人間が作った概念ではなく、観測可能な力なんだ」
このセリフを聞いたとき、
私は直感的に「そうだ!これは真実だ」と感じました。
まるで、今まで名前のついていなかった感情に、突然、誰かが名前を教えてくれたような、
ぼやけていたものにカチッとピントがあったような感覚。
愛は単なる感情や、文化的な構築物ではなく、たしかに“ある”もの。
今の科学では証明できないとしても、確かに存在し、人を動かし、世界に影響を与えている。
このセリフは、そのことを静かに、けれど確かな強さで私に伝えてくれたのです。
〇“物理法則的な力”として描かれた”愛”
「インターステラー」は、単なるSF映画と一言で語るには、とても壮大です。
そこには、相対性理論や量子力学などの現代物理が深く織り込まれており、
「時間とは何か」
「重力とは何か」
「次元を超えて人はつながれるのか」
といった問いが、物語の土台になっています。
そのなかで“愛”は、特別な位置づけを与えられています。
主要登場人物の一人、科学者のアメリアがこんなことを語る場面があります。
「私たちは誰かを愛する。
それは死んだ人や、遠く離れた場所にいる人に対してさえ(愛情を抱く)。
なぜ、私たちは説明できないものを感じ続けるのか?
それは、愛が何かの証拠だからではないか?
(今の技術では無理でも)観測できる何かなのだ。」
ここで語られる愛は、単なる“気持ち”ではありません。
それはまるで、重力のように時間と空間を超えて働きかける“力”としての愛。
そして物語は、
愛によって導かれた選択が、人類の未来を左右する鍵となる、
という展開をむかえていきます。
アメリアのセリフはどこか詩的であり、
「感情とは非合理なもの」という先入観を覆すものでした。
愛は非合理ではなく、まだ私たちが完全に理解できていない自然の力のひとつなのではないか。
そう感じさせられる描写の連続に、私は目が離せませんでした。

〇目に見えないものが、現実に影響を与えている
このブログを読んでいる方のなかには、
私が占星術やセーラームーンやギリシャ神話や、そういう”夢想的なもの”が好きだから、
ただのSFを過剰にロマンチックにとらえているのでは?
と思う人もいるかもしれません。
ですが、
「インターステラー」で描かれたこれらの視点は、
まったくの空想と切り捨てることはできなくなっています。
むしろ現代物理学、特に量子力学の領域では、
「目に見えない力」や「観測できないものが現実に影響を与える」という考え方が、
非常にリアルなものとして語られています。
すこしネットで論文・文献を調べてみれば、
〇二重スリット実験:光や電子がどのスリットを通ったかを観測しようとするだけで、粒子の振る舞いが変わるという現象。これにより”意識を向けること(観測すること)”が、物理的な現象に影響を与えるという事が示される。
〇量子もつれ(エンタングルメント)現象:一度関係性を持った粒子同士が、たとえ宇宙の果てほど離れても、片方に起こる変化が即座にもう一方に伝わることが実権によって示唆された。
といったような
“つながり”は距離や時間を超えるという、どこか“愛”を思わせる現象が出てくるのです。
さらに、量子の世界では
「状態が確定していない重ね合わせ状態」が基本であり、
観測するまで未来が決定されない、ともされているといいます。
この視点から見ると、
”愛するという行為”は、
数ある未来のなかから一つの関係性を“選ぶ”という力として捉えられるかもしれません。
〇科学と人間のあいだにあるもの
こうした量子論的な視点に触れていると、あらためて思います。
科学は、目に見えるものしか扱えないわけではない。
目に見えないけれど確かに存在し、
世界に作用しているものをどうにかして扱おうとしている。
それが現代科学の最前線です。
「インターステラー」のなかの「愛は観測可能な力」というセリフは、
ただの詩的な比喩ではなく、
最先端の科学と人間の心が繋がる、まさにその接点だったのではないかと感じたのです。
〇「言葉にならないもの」を信じるという選択
私たちはときに、
「証明できないものを易々と信じてはいけない」と
言われることがあります。
でも、証明できないものをまったく信じられなければ、
人は誰も”何かを選ぶ”ことができなくなる気がします。
なぜか惹かれる。
なぜか守りたい。
なぜか一緒にいたい。
その「なぜ?」は、理屈を超えた“力”が働いている証拠ではないでしょうか。
「インターステラー」が私に教えてくれたのは、
「それでも信じていいんだよ」ということでした。
愛という力は、まだ測定はできないかもしれない。けれどそれは、確かに“ある”。
そしてその力は、科学の言葉では語りきれなくても、
私たちひとりひとりの中に確かに息づいている――
「インターステラー」を見るたびに、
新しい扉の前に、清々しい気持ちだ立たされる思いがするのです。

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